夫の正しい躾方 06(慧視点)

 
 俺と妻の歩は、家が隣同士の幼馴染だった。
 親同士が仲が良かったので、小さな頃はよく遊んだりしていた。
 でも、だんだん大きくなるにつれて、俺は歩と遊ぶより男同士で遊ぶ方が楽しくて。
 まぁ、歩は元々大人しく、家の中で読書をしたりお菓子を作ったりするのが趣味で、俺は外でサッカーやバスケをしたりなど、体を動かす方が好きだったので、自然と俺達は離れていった。


 それから10数年経ち───。

 
 俺は生まれ育った土地から離れて、人と物が溢れる東京で生活をしていた。
 大学を卒業してからも地元には戻らず、そのまま都心にある今の会社に就職をした。
 それ以降、俺は一度も地元には帰らなかった。
 仕事が忙しかった───と言うのもあるが、休日は当時付き合っていた彼女と遊んで過ごしていたので、そんな暇が無かったのだ。
 しかし、あまりにも帰って来ない俺に痺れを切らした母が、たまには帰って来なさい! と怒り出した。
 その時、丁度彼女がいなかったので、俺は溜まっていた有給を使って渋々実家に帰ることにした。


 その時に、俺は歩と久々に再会した。


 実家に帰って2日が経ち、母親が昼飯の買い物に出掛けている時間帯に、ピンポ〜ン。と玄関のチャイムが鳴った。
 誰だよ、と思いながら玄関を開ければ───大きな鍋を持った、小柄な女が立っていた。
 直ぐに、その女が歩だと気付いた。

 何故なら、全くと言っていいほど、小さい頃から変わっていなかったからだ。

 変わったのは、髪の長さと大きく成長した胸ぐらいだろう。
 かわんねーな、コイツ……と見詰めていれば、顔を何故か赤くした歩が「こ、これ、造り過ぎたから、お裾分けに来たの」と、小さな声で言いながら鍋を差し出してきた。  それを受け取った俺は、何が入っているんだと鍋の蓋を開けて───ゴクリと唾を飲む。
 めちゃくちゃウマそうな煮物が目の前に!
 行儀が悪いと思いつつも、鍋の中からよく煮込まれた肉を1つ、つまむ。

 激ウマ!

 なんだこの美味さはっ! と思いながら、誰が作ったのかと聞けば、照れた顔をしながら自分が作ったという。
 それを聞いた瞬間、俺の口はツルリと「……なぁ、俺と結婚しない?」と言っていた。
 何を言ってるんだ自分と思ったが、歩が帰った後、もう一度その事をジックリと考えて、意外にいいかもなと思うようになった。

 それからの俺の行動は早かった。

 残りの休暇の殆んどを、歩を口説くために使った。
 今までの彼女にも使ったことがない甘い言葉を囁き続け……東京に帰るギリギリ1日前に、漸く首を縦に振らせた。
 その日から1ヶ月後。
 俺達が結婚する事を夢見ていたと話す母親(父親)達に見守られながら、俺達は籍を入れたのであった。
 新婚───それも初夜に、歩(当時26歳)が処女だと知った俺は、誰の手にも触られたことが無い───と言う事に嬉しさがつのる。
 コイツの躰を俺好みに開発する! と意気込んでいた。
 が。
 結婚して2年後。


 気が付けば、俺は外で新しい女を作って遊んでいた。


 彼女との不倫(あそび)はとても楽しいもので……。
 彼女の体に溺れる様になっていた俺は、残業だと嘘をつき、遅く帰ってくる俺を寝ずに待っている妻がいると知りながら、平気な顔をして不倫相手と体を繋げていた。
 別に、好きで結婚した訳じゃないし、歩の事は『体の良い家政婦』みたいなものだと……結婚して2・3年目には思うようになっていた。


 そう、“あの時”までは───。




『ねぇ、今日もダメなの?』
「あぁ、今は忙しい時期なんだよ。お前だって分かってるだろ?」
『じゃあ……次はいつ会えるの?』
「それはまだ分かんないな。……時間が出来たら、こっちから連絡するよ」
『え? ちょっと待って、け――』

 プチ。

 誰も居ない休憩室で、不倫相手の彼女───『まほ』と電話をしていた。
 ここ数日、全く会おうともしない俺に、彼女から携帯に電話が掛かって来たのだ。
 折り畳んだ携帯を胸ポケットに入れながら、ここ最近自分の躰に起きたことをお思い浮かべる。
 手足を縛られながら、女みたいな啼声(なきごえ)を上げ、与えられる強烈な快感と僅かな痛みに酔いしれ。
 気付けば、


 歩の手に自分の股間を擦り付けるようにして押し付け、逝かせてほしいと懇願していた。


 はぁ〜っと、深い溜息をつく。
 前髪ををガシガシとかき回し、それから項垂れる。


 まさか……まさかこの俺が、あの大人しくて何も知らない様な顔をした歩に『尻』を掘られる日が来るとはっ!


 男としての矜持を傷つけられた───と言う怒りよりも早く、むくむくと天井に向かって頭を擡(もた)げる己の分身に、ガクリと肩を落とす。
 あっち(男にヤラれる)の趣味はないが、歩にされるのは……病み付きになりつつある。
 もう歩以外では、俺の躰は満足出来ないんじゃ……ないのだろうか?
 そんな、ある意味恐ろしい考えにブルリと震えた時。


「お前、最近『愛ちゃん』と上手くいってないのか?」


 今まで誰も居ないと思っていた休憩室で、急に声を掛けられ振り向けば───『まほ』との一部始終を聞いていたらしい古嶋が、ドアに凭れるようにして立っていた。
「お前、いつの間に入って来たんだよ」
「お前が話に夢中になってて、俺が入って来たのに気付かなかっただけだろ?」
「あっそ」
「んで? 『愛ちゃん』とは上手くいってないのか?」
「……別に。つーか、『愛ちゃん』言うな」
 古嶋は、俺が不倫をしている事を知っている、数少ない友人だ。
 そして、不倫相手のことを愛人───略して『愛ちゃん』と呼んでいる。
 買っておいたコーヒーに口を付けていると、古嶋が「なぁ」と声を掛けてくる。
「なんだよ?」
「また飲み会しようぜ」
「飲み会? ……あぁ、いいけど。どこの居酒屋に行く?」
「居酒屋もいいけど、この前みたいに慧の家でやってもいいか?」
「俺んち? いや、別にいいけど……何で?」
「だってさ、歩さんが作る飯、美味いじゃん」
 駄目か? と聞いてくる古嶋に、断る理由も無い俺はそれを了承した。
「おっと、もうこんな時間か。それじゃあ、俺はもう戻るよ。───あぁ、そうだ」
 休憩室から出て行こうとドアに手を掛けた古嶋が、何かを思い出した様に振り向く。
「歩さんに、よろしく」
「………………」
 何も言わない俺の顔を見た古嶋は、フッと笑ってから休憩室から出て行った。

 古嶋は、歩の事が好きらしい。

 ───と、いう事をこの前田中から聞いていた。
 その時はまさか、と思ったが、今ので確信した。


 古嶋は俺の妻を狙っている。


 道理で、俺が不倫をしていると知っても、あの潔癖が怒らないわけだ。
 逆に、俺と『まほ』が上手く行くように助言までしてくれていたっけ。
 この事(不倫関係)で俺と歩が離婚したら、傷心の歩に上手く付け入って、あわよくば自分のモノにしてしまおうという魂胆なのだろう。

 そんな事、許せるか!

 歩は……あゆは俺だけのモノだ!
 そう、最近になって激変した妻との熱い夜を過ごして行く内に、今まで夢中になっていた『まほ』との関係がどうでも良くなってきていた。
 逆に、早くあゆに会いたくて、仕事を早く終わらせて家に直行する生活が続いている。
 俺は飲み掛けのコーヒーをグイッと一気に飲み干し、立ち上がる。
「ふんっ。何が『歩さんに、よろしく』だ」
 古嶋が出て行ったドアを睨みつけながら、空き缶をグシャリと握り潰す。
 アイツが本気と言うなら、俺にも考えがある。
 俺は胸元から携帯を取り出し、家にいるであろう、あゆに電話を掛ける。
「……あぁ、あゆ? 俺。今日も早めに帰るから、晩飯の用意よろしく。───あっ、そうだ。今度また古嶋達が飲みに来たいって言ってたから。……あ? そうそう、この前と似たようなモノでも作ってやればいいから。ん、あぁ……。じゃあな」
 通話終了のボタンを押し、携帯を畳む。
 クッ、と口の端が上がるのを止められない。
 あぁ、『飲み会』が楽しみだ。
 俺は携帯を仕舞いながら、早く家に帰れるよう、残りの仕事をさっさと片付ける為、休憩室から外に出た。
 

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